写真の上の方、向こう側を御覧頂きたい。荒れ野原が広がっているように見えるが、そうではない。家屋という家屋が津波によってなぎ倒された跡である。一軒一軒が粉々に破壊されていた。「原型を留めない」などという類の生やさしいものではなかった。インドネシア最西端のアチェ州である。
スマトラ沖大地震・津波から間もなく2年が経つ。発生直後から現地で活動を続ける国際的援助団体「オックスファム」が7日、住宅・土地問題に関する報告を発表した。インドネシア政府による復興事業の余りもの遅さに改善を促す内容になっている。
アチェは震源地の間近だっただけに被害は凄まじかった。13万人が死亡した。インドネシア全体の死者が16万人だったから、いかにアチェに被害が集中していたかがわかる。州都のバンダアチェを流れる川の橋には、死体が引っかかり山のように積み上がった。
家を再建しようにも登記簿なく
全壊・半壊により再建しなければならない家屋は、「オックスファム」によると12万8000軒に上る。だが、これまでに再建できたのは3分の1に過ぎない。このため州内150ヶ所に設けられた仮設住宅に今なお7万人が暮らす。
筆者もこの仮設住宅を訪れたが狭くて不衛生だ。イスラム教徒は多産系なので大家族だ。10人近い1家族が広さ30m2ほどの部屋に住む。台所とトイレは共同だ。
再建が遅れに遅れているのには理由がある。津波で家屋が流された際、土地の登記簿も散逸したのだ。家を再建しようにも建てるべき場所が正確に分からない。個々人が主張するままに土地の所有を認めるようなことをすれば、後でとんでもないトラブルになるのは必定だ。
とは言っても死亡した他人の土地に勝手に住み着いてしまったケースも数多くある。正直に申告する訳はないので、カウントは不可能だ。
破れたり泥で汚れたりした登記簿らしき書類は15tにも上る。これらをインドネシアに送り復元作業をしている。だがどの程度まで土地登記が判明するのか皆目見当がつかない。
息の長い、私物化されない援助が必要
農地の被害も深刻だ。稲作農耕地帯であるアチェ西部の農地の15%が海水を被った。水田や畑は塩を吹いて白く、使いものにならなくなっている。筆者もそうした田畑を目にしたが、見るも無残な光景だった。「オックスファム」の調査によると、耕作不能となった田畑は15万haにも上るという。こちらも区画を示していた畦道や樹木が、津波にさらわれて無くなっている。
宅地・農地合わせて60万件の土地登記が失われた。だが、再登記できたのはこれまでにわずか2608件に過ぎない。
九州より一回り大きな地域が廃虚と化したら、日本のように“優れた”役所の機能があっても、復旧は手間取る。30年にわたって内戦が続いてきたアチェ州は、国軍が事実上の行政を行っていた。まともな行政などなかった地域を津波が襲ったのだ。
国際社会は息の長い援助を続けていかなければならない。世界有数の汚職大国であるインドネシアの政治家・官僚・軍幹部が援助を私物化しないように、メディアは見張る必要がある。それが復旧への最も早い途である。
本記事は『Oxfam Press Release』 (12月7日付)を参考にしながら筆者の取材に基づいて執筆しました。