脱官僚で「天皇陛下の意思に沿ったお言葉を」

 「ここに国会が国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するにあたり……」。国会の開会式で十年一日のごとく繰り返される天皇陛下のお言葉だ。阪神大震災に見舞われた1995年以外は毎回同じ文言だという。

 エンドレステープ内蔵のロボットではあるまいし、確かに変だ。岡田克也外相が23日朝の閣僚懇談会で「天皇陛下の思いがもっと入ったお言葉を頂くような工夫はできないものか」と提起し、波紋を呼んでいる。同日夕方の外相記者会見では岡田氏の発言の真意を問う質問が相次いだ。

 岡田氏は「時間をかけてお出かけ頂いているにもかかわらず同じ挨拶を繰り返しているのは陛下に対して申し訳ない」と答えた。さらに「ふだんの天皇・皇后陛下のご挨拶は国民の気持ちを打っておられる」と踏み込んだ。

 確かに岡田氏の指摘通りである。皇后陛下は75歳の誕生日(10月20日)にこの1年を振り返って「多くの人が職や居住の場所を失ったことが最も案じられたことでした」などとする感想を述べた。

 庶民の悲鳴などどこ吹く風と夜な夜なホテルの高級料理店で舌鼓を打っていた、当時の首相よりもよっぽど国民のことを心配しておられるではないか。

 天皇陛下に至っては国民目線から「お言葉」を発することがある。04年秋の園遊会だった。「君が代」を斉唱しない教員を処罰していた東京都教育委員会の米長邦雄委員に、陛下は「強制になるということでないことが望ましいですね」と苦言を呈した。

 君が代の「本人」から言われ面目を失った米長委員の顔が印象的だった。「日の丸・君が代」の強制に血道を上げる石原都知事が周章狼狽する顔が透けて見えた。溜飲を下げた都民は少なくないのではないだろうか。

 天皇陛下の庶民的な人柄が窺えるエピソードがある。もう10年以上も前、陛下が全国植樹祭出席のため西日本のある地方に出かけた。植樹祭会場を管轄する警察署の副署長が警護のため陛下のすぐ後ろについた。

 植樹祭の後、副署長は陛下の福祉施設慰問にも当然同行した。慰問を終え玄関で靴を履くために靴ベラを探していた。すると「どうぞこれを使って下さい」と靴ベラを差し出す手があった。誰かと思って顔を見ると天皇陛下だった、というのだ。筆者と20年以上に渡って親交のある警察副署長の話である。

 宮内庁長官はトップ官僚の「上がり」の指定席だ。岡田外相は次のように“分析”する――。「同じお言葉が繰り返されているのは、官僚的対応になっているからだ。あまりにも無難に流れる結果、陛下の御意思と離れてしまっているのではないか」。

 これも民主党が掲げる脱官僚と見るのは穿ち過ぎだろうか。

 天皇陛下に思いのままに「お言葉」を述べて頂いた方が、国会も少しは国民本位に物事を審議するようになるかもしれない。

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