米国務省のホームページを眺めていると、米国が世界各国に「余計なお世話」をしているのがよくわかる。「Indonesia — National Security Waiver/Foreign Military Financing」と題するプレスリリースが22日にアップロードされた。釜山で開かれたAPEC首脳会議直後である。内容はインドネシアに対する軍事援助を再開する、というものだ。援助は武器輸出、軍事演習、将兵教育などの面に及ぶ。
米国によるインドネシアへの軍事援助は、99年以来途絶えていた。東チモール独立の是非を問う住民投票で、民兵が独立賛成派の民間人を襲撃し多数の死傷者が出たためだ。民兵とはインドネシアでは国軍の子飼い勢力のことである。警察にも軍隊組織があるので、いわゆる政府軍を国軍と呼ぶ。民兵には国軍除隊者や荒くれ者が多い。ならず者集団として住民に恐れられている。
ところが「テロとの戦い」は、米国のインドネシアに対する軍事政策をも一変させる。02年、今年10月にはバリ島で、昨年9月にはジャカルタのオーストラリア大使館前で爆弾テロ事件が起きた。実行グループのジェマー・イスラミヤ(JI)は、アフガニスタンのテロ訓練キャンプに参加していたことが突き止められている。
米国がインドネシアに触手を伸ばしたのには、もうひとつ理由がある。インドネシアは世界最大のイスラム教国だが、教義に厳格な原理主義ではなく、世俗主義だ(ごく一部の地域を除けば)。スカーフの女性を見かけることは少ないし、酒も飲める。金儲けも自由だ。イスラム世俗主義は、自国流の民主主義を持ち込めると米国が勝手に思い込んでいる社会システムなのだ。
国産兵器と士気はガタガタ
筆者は5月にインドネシア国軍のオペレーションに同行した。兵士が手にするのは「SS-1自動小銃」(写真上)という国産兵器なのだが、兵士たちの間で評判は悪い。ある兵士は「これじゃあ、ゲリラのAK47にはかなわない」と嘆いていた。AK47より射程は短く、命中精度も悪いという。当然だ。
爪切りの歯はかみ合わず、なかなか切れない。ハサミはすぐ要がはずれる。録音テープは「ソニー、MADE IN JAPAN」と記されているが、音声はフニャける。明らかにパチものだ。こんな工業力しか持たない国が、まともな国産兵器を作れるはずがない。
兵器の劣悪さよりもさらに驚いたのが、兵士の士気の低さだ。ジャングルでの行軍中、筆者に「水をくれ」と乞うてきた兵士がいた。これでは白兵戦は戦えまい。士気の低さは国軍全般を覆っている、と言っても言い過ぎではない。農民が畑に入り、漁民が海に出るのに、国軍が見かじめ料を取っている地域もある。マラッカ海峡に出没する海賊は、インドネシア海軍であるとの見方が消えない。一国を守る軍隊とは言いがたいモラルだ。
国産銃が米製の「M14自動小銃」にかわったところで戦闘能力の向上にはなかなか結びつかないだろう。士気の低さはインドネシア国軍の薄給に由来する。将軍クラスで月給600ドルという低さだ。国軍出身のユドヨノ大統領は軍の近代化を掲げる。今後は米製兵器の購入とともに将兵の薄給も改善することになる。ではこの金はどこから出るのか。
やっぱり届かなかった支援金
昨年末のスマトラ沖大地震により、インドネシアでは16万人が犠牲となった。日本をはじめ各国からの津波復興援助金は、総額50億ドル以上にものぼった。
ところが汚職は朝メシ前というこの国の体質である。違反をしていなくても交通検問の警察官が現金を要求してくる。公務員に業務を依頼すると必ず、彼らの1ヶ月分の給料以上のワイロを求めた。ワイロ、横領の金額は地位が高いほど大きくなる。国際社会は、津波の復興援助金がちゃんと被災地に回るのか疑い心配した。
最も被害の大きかった地域は、震源地間近のナングロ・アチェ州だった。この地域は内戦下にあったため、インドネシア政府は外国人の入域を厳しく制限していた。だが救援・復興にあたるNGOとそれを伝えるジャーナリストの入域を許可した。筆者もそれに紛れ込んだ。
「援助金が被災地の復興に回らないのでは」という国際社会の懸念は的中したようだった。どこの国のNGOに尋ねても「回っていない」と異口同音に答えた。どの村の長老格も「各国のNGOが去ったら(我々は)生きてゆけなくなる」と口を揃えて訴えた。筆者もこの目で見たが、復興に援助金が回っている気配は全く見えなかった。同じく津波で被災したスリランカを訪れたのが、インドネシアを訪れるより2ヶ月近く前だったが、こちらは家屋の再建など復興が着々と進んでいた。
津波復興援助金50億ドル強という莫大な金は政治家、高級官僚のポケットに納まり、残りが米製兵器購入などに回るのだろうか。勘ぐりたくもなる。少なくともそれを否定できる根拠は、津波被災地の現場には見当たらなかった。