スリランカ 女性ゲリラ兵士に聞く(前編)

 スリランカの政府軍と反政府武装勢力が事実上の内戦状態に再突入したことは、本欄でこれまでにもお伝えしてきた。スリランカ国内紙はもとより海外紙の紙面にも“Full-Scale War”“Heavy Fighting”の見出しが連日のように躍っている。

 内戦再開の気配が濃くなった4月以降、スリランカ北部、北東部のタミル人地域から脱出した住民は20万人を超えた。ほとんどは戦闘が激化した8月に入ってからの脱出者だ。半月で16万2200人がこの地域を逃れて国内避難民となった。6672人は海峡を越えて親類縁者のいるインド・タミルナド州に渡った(以上UNHCR=国連難民高等弁務官事務所=調べ)。

 スリランカの少数民族であるタミル人(全人口の2割弱)の独立武装組織「LTTE:タミール・イーラム・解放の虎=通称タミル・タイガー」は、多数民族のシンハラ人(全人口の7割強)が握る政府軍と、1983年から熾烈な内戦を続け、ノルウェーの仲介で2002年から一時停戦状態となっていた。

 タミル・タイガーの推定兵力は6千人。同政治局によれば、ちょうど半数が女性兵士だ、という。女性の将軍も2人いる。役割分担も権力配分も男性と全く同等になっているという。

 タミル・タイガーの完全支配地域キリノッチ県で、女性兵士マディーさん(25歳)にインタビューした。「兵士となったいきさつ」「初めて敵を射殺した時の感想」「なぜ自爆テロをするのか」などを淡々と語ってくれた。

 「敵は銃を持って我々の地にいる。だから私は撃ち殺した」と語るマディーさん(撮影:筆者)

「敵は銃を持って我々の地にいる。だから私は撃ち殺した」と語るマディーさん(撮影:筆者)


 ――タミル・タイガーに入ったのはいつですか?
 「98年に入隊した。半年間、基礎的な訓練を受けた」

 ――どんな訓練内容でしたか?
「解放理論やタミル民族の歴史などの政治的な勉強、小銃の扱い方も習った」

 ――基礎訓練の後はどんなことを学びましたか?
 「重火器をはじめいろいろな武器の扱い方を学んだ。これ以上は軍事機密なので言えない」

 ――朝起きてからの一日を聞かせてください。

 「毎朝午前4時半に起床し、体操、タミル国旗の掲揚、神への宣誓と続く。夕方は6時に基地に戻り、新聞を読み、テレビを見る」

 ――テレビはどんな番組を見ますか?
 「BBCドキュメンタリー」

 ――BBCを見てヨーロッパの若い女性のファッションに憧れることはありませんか?
「ない。フリーダム(自由)戦士は制服が一番いい」

 ――戦場に初めて出たのはいつですか?
 「98年.政府軍が一時占領(96~98年)していたキリノッチを、タミル・タイガーは反転攻勢で98年9月取り戻した。そのオペレーションの時です」

 ――初めて戦場に出た時の印象を聞かせてください
「大変幸せだった。タミル民族を解放すべきとだけ感じていたから。我々の地から敵を追い出す機会を得られた。結果、人々は自分たちの土地を持ち、自由に働き自由に生活することができる」

 ――恐さは感じませんでしたか?
 「いいえ。政府軍と戦うことで我々は自由になれると思ったから。政府軍兵士は我々をレイプ、殺害、誘拐するなどしてきた。こうした敵は殺すだけだ、と思っていたので恐くなかった。多くのタミルの人々が戦争の犠牲となり、命を落とした。我々の同志も自由の戦いのために犠牲となる覚悟はある。だから恐くない」

 ――初めて敵を撃った時の感想は?
 「政府軍の兵士も貧しくて家族がいることはわかる。だが彼らは銃を持って我々の地にいる。だから私は彼らを撃ち殺した。我々の地から(敵を)一掃して、タミル民族に土地を与えるために敵を撃った」
 タミル・タイガーは敵に捕まると、ペンダントに入った青酸カリを飲み自殺することで有名だ。軍事機密を守るためだ。マディーさんも「服毒する」とごく自然に答えた。つとに知られるタミル・タイガーの士気の高さを改めて感じさせるものだった。(つづく)
メディア向けなのだろうか。現れた女性ゲリラ兵士たちは、皆スタイルが良く精悍だった(撮影:筆者)

メディア向けなのだろうか。現れた女性ゲリラ兵士たちは、皆スタイルが良く精悍だった(撮影:筆者)
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