発生から20年を経てなお国際世論の指弾を浴びる天安門事件の記念日にあたる6月4日、言論の自由が保証されている欧米やオーストラリアなどで、事件の犠牲者を追悼する集会が開かれた。
日本でも在外中国人の反体制組織「民主中国陣線・日本支部」(本部=ドイツ・フランクフルト)などが集会を催し、母国の民主化を訴えた。
会場となった東京・池袋の東京芸術劇場には在日中国人100人余りが集まった。政治的な理由で中国から逃れてきたり、帰れなくなったりした人たちだ。
折りしもマカオでは天安門事件当時の学生リーダーで台湾在住のウアルカイシさん(41才)が中国政府入管当局から入国を拒否されている。公安当局から指名手配されているウアルカイシさんは、中国在住の両親に会うためマカオ経由で一時帰国しようとしたところだった。程度の差こそあれ池袋の会場に集まった中国人の多くは、ウアルカイシさんと似たような事情を抱えている。
集会では天安門事件の写真がスライド上映された。人民解放軍に殺害された学生や労働者が次々と映し出される。脳しょうや内臓が飛び出した遺体もあれば、上半身と下半身が真っ二つに裂かれた死体もある。いずれも戦車のキャタピラーに轢かれたものだ。肩にポッカリ空いた銃創。体中に巻かれた包帯は、白い部分がなくなるほど真っ赤に染まっている……。160枚の写真は事件の凄惨さを20年経った今も生々しく伝える。国土と国民を守るはずの軍隊が銃を向けたのは、自国の学生や労働者たちだった。
中国政府にとって民主化運動と並ぶタブーが小数民族問題だ。集会にはチベット自治区、内モンゴル自治区からも参加者があった。
「ダライ・ラマ法王日本代表部」広報担当官のツェワン・ギャルポ・アリヤさんが挨拶に立ちアピールした。「中国は世界一の人口と経済力があってもスーパーパワーとは呼べない。正義と人権がないからです。天安門での虐殺を国民に謝罪すべきです……」。
内モンゴル自治区もチベットと同じ様に中国政府の圧政に苦しむ。「内モンゴル人民党」日本支部代表のケレイト・フビスガルトさんは訴えた。「(天安門事件と同じ)89年、チンギス・ハーンの生誕を祝う会を開こうとしたが許可されなかった。(中略)……我々の民族を弾圧する中国政府を絶対信じることはできない」。
中国政府が民族のアイデンティティーを認めていないというところが、チベットと内モンゴル両自治区に共通する。
隣国、ミャンマー(ビルマ)からも出席者があった。「カチン民族機構・日本支部」事務局長のマリップ・セン・ブさんは筆者に語ってくれた。「ミャンマー軍事政権が長持ちするのは中国が支えているから。中国が民主化されない限りミャンマーの民主化は無理です」。
かつてのソ連がそうであったように大国が独裁体制を固持しようとすると、少数民族や隣国をも圧政下に置くことを、中国共産党も示している。
ソ連を解体に導き東欧を自由化したゴルバチョフ書記長は1989年5月、当初からの外遊日程だったとはいえ中国民主化運動のうねりを加速させることを視野に入れて、北京を訪れた。その頃、広大な天安門広場は学生や労働者たちで溢れていた。
だが、ゴルバチョフ訪中から1ヶ月足らずのうち中国民主化運動は、あっけなく軍靴に踏みにじられた。世界史の針を逆回転させた天安門事件。経済だけが発展し金銭欲が支配する社会はイビツだ。歴史の裁きを受ける日がやがて来るだろう。