ガザに入るには、イスラエル政府発給の記者樟を取得する必要があるため、ジャーナリストはエルサレムに立ち寄らねばならない。筆者がエルサレムを訪れた時、必ず足を運ぶのがユダヤ教徒の聖地「嘆きの壁」とイスラム教徒の聖地「アルアクサの丘」だ。
2つの名前を挙げたからと言って2ヶ所を訪問するわけではない。両者は重なり合っているので訪問地としては一ヶ所だ。その重なり方たるや半端ではない。「嘆きの壁」の最上部が「アルアクサの丘」(ユダヤ教徒は「神殿の丘」と呼ぶ)だ。逆に言えば「アルアクサの丘」の土台が「嘆きの壁」ということになる。
ユダヤ王国がローマ帝国の猛攻に遭い滅びたのが紀元70年。「嘆きの壁」はかろうじて残ったユダヤ神殿の跡である。戦争で破れたユダヤ民族がディアスポラとなっている間にこの地をほぼ占有したのがイスラム教徒だった。預言者モハンマッドが昇天したとされるのが「アルアクサの丘」だ。ユダヤ教徒の聖地「嘆きの壁」(神殿の丘)の最上部である。
両者が重なり合ったことは、「歴史のいたずら」と呼ぶにはあまりにも酷い。「聖地のある東エルサレムは我が教徒(民族)のものであり、異教徒(民族)に譲ることはできない」。双方がこう主張して4次に渡って大がかりな戦争をし、日常的に続く小競り合いで血を流しあっているのだから。
この敵対関係を最も上手に利用したのはイスラエルのシャロン元首相だった。シャロン氏はタカ派政党「リクード」の党首だった2000年9月、イスラム教徒の聖地「アルアクサの丘」を電撃的に訪問した。まさしく土足で他人の家に踏み込んだのである。
それに怒ったパレスチナ人たちが蜂起したのが、「アルアクサ・インティファーダ」だ。連日のように自爆テロがあり、1,000人以上の人々が命を落とした。パレスチナへの締め付けを強化したシャロン氏は国民の支持を得、01年の首相選挙に勝利したのである(当時の首相選挙は直接選挙だった)。シャロン氏は聖地が重なり合っていることを利用して互いの敵意に火をつけたのだった。
「アルアクサの丘」(ユダヤ教徒にとっては神殿の丘)をめぐっては8年後、さらなる悲劇が起きる――。
アルアクサの丘を壊して更地にしユダヤ神殿を再建すればキリストが再降臨すると信じているのが、キリスト教福音派(いわゆるネオコン)だ。その信者がブッシュ前大統領である。
ブッシュ政権の最末期に起きたのが、イスラエル軍によるガザ侵攻(08年12月開始)だった。ハマス掃討の軍事作戦は苛烈を極め、無辜の市民を中心に1300人余りが犠牲となった。
イスラム教徒との融和を掲げるオバマ新大統領が就任すればパレスチナへの軍事攻撃は難しくなる。ブッシュ政権の間にイスラエルは目のうえのタンコブを叩いておきたかった。それがガザ侵攻だった。
自らの聖地への思い入れは、「異教徒せん滅」につながる危険性と悲劇性を孕む。