終戦の日・靖国神社 「日本は第2の敗戦から立ち直れるか?」元兵士、遺族に聞く 

近衛兵の生き残りである戸田さんは、戦時中の大本営と同様に国民を欺く今の政府に憤る。(15日朝、靖国神社正門前。写真:筆者撮影)

近衛兵の生き残りである戸田さんは、戦時中の大本営と同様に国民を欺く今の政府に憤る。(15日朝、靖国神社正門前。写真:筆者撮影)

 66回目となる終戦の日の靖国神社。名物の蝉しぐれがいつもの年ほどけたたましく聞こえない。

 毎年8月15日、靖国神社を参拝するという女性(世田谷区・83歳)は眼差しを遠くにやりながら語る。「敗戦の日も暑い暑い日だった。(ここ数日)B29が飛んで来ないから『おかしいなあ』と思っていたら玉音放送があり、戦争が終わったことを知った」。

 「英霊たちが今の日本を見たらどう思うでしょうか?」と聞くと、女性は急に目線を間近に戻し「情けない」と悔しがった。

 「東日本大震災は第2の敗戦」という言葉をよく耳にする。「第1の敗戦」からの奇跡の復興は、戦没者の犠牲の上に立つと言ってもよい。戦友の霊を弔いに訪れた「生き残り」の元兵士たち、父親や夫を失った遺族たちは「第2の敗戦」をどう受け止めているのだろうか――

 近衛兵だった戸田重吉さん(88歳・仮名)は、皇居で終戦を迎えた。「皇居にも焼夷弾が落ちるようになり、間もなく東京大空襲(昭和20年3月10日)に見舞われた。『日本はどうなることか』と思ったが、りっぱに立ち直った」。

 「2度目の敗戦と言われる大震災、原発事故からは立ち直ることができますか?」

 「原発事故はヒドイ。政府はもっと早く住民を避難させるべきだった。(先の戦争で)負けていながら、大本営は『勝った、勝った』と言って国民を騙した。原発事故も同じだ」。66年前の出来事を淡々と語っていた戸田さんだったが、原発事故のことになると途端に語気を強めた。

 近衛兵は天皇の玉音放送を守るために戦争継続派と銃撃戦まで戦ったことで知られる。近衛兵の生き残りである戸田さんは、政府が国民を欺き不幸に陥れることが許せないのだろう。静かな口調の中に怒りをたたえていた。

女性(95歳)の夫は昭和20年5月、華南戦線で玉砕した。終戦のわずか3か月前のことだ。(写真:筆者撮影)

女性(95歳)の夫は昭和20年5月、華南戦線で玉砕した。終戦のわずか3か月前のことだ。(写真:筆者撮影)


 小野喜十郎さん(87歳・仮名)は長岡の赤十字病院で敗戦を知った。小野さんは戦争末期、本土に襲来していたグラマンとの空中戦で足を撃たれ入院を余儀なくされていた。「ケガ人だらけで病院は地獄のようだった」と振り返る。

 「(広島・長崎に投下された)原爆で日本はゼロになった。今また原発でゼロになろうとしている。原子力はひどい物であるということがよく分かった」。

 小野さんの目の前を濃紺の戦闘服に身を固めた“部隊”が行進して行った。「あいつら右翼でしょ。いい気なもんだ」。
 小野さんのあきれた表情は『戦争の悲惨さを知らない者が兵士を気取ってほしくない』と語っていた。

 勝野隆さん(63歳・仮名)は戦後生まれだが、親戚筋が海軍将校だったこともあって戦史研究家となった。勝野さんに「日本は第2の敗戦から立ち直れるか?」を尋ねた―

 「私が調査したところではまだ日本は持ちこたえることができる。ただ問題は原発だ。ビキニ原爆の第5福竜丸事件(1954年)とは比べものにならないほどの衝撃を日本人に与えている」。

 「先の戦争に突き進んだ証拠を隠滅するため当時の官僚が資料を破棄したと言われています。今回の原発事故では政府が情報を隠したりウソをついたりしていますが?」

 「当時と全く一緒だ」。勝野さんはうんざりするような顔で言った。

 生き残りの元兵士と遺族の高齢化は進む一方だ。年を重ねる度に靖国神社を訪れる人が減っている。国民に情報を隠し欺いた国家の末路はどうなるか。命ある限り語り継いでいってほしい。

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