「ブスリム・プリズン」と呼ばれリビアの人々を震えあがらせた政治犯収容所はトリポリ南部にひっそりとあった。もぬけの殻となった獄舎は独裁体制が終わったことを、静かだが雄弁に語っていた。
治安警察は手あたりしだい逮捕してブスリム・プリズンに放り込んだ。そして収容者がプリズンのキャパシティ(2,000~3,000人)を超えると処刑した。
ある家の壁にカダフィ批判の落書きがあったとする。警察は“下手人”を探す一方で家の住人をも逮捕した。
カダフィは敬虔なイスラム教徒を警戒した。神の下の平等に反するとして民衆が立ち上がり、パーレビ独裁を打倒したホメイニ革命(1979年)の再現を恐れていたのだろう。朝5時からモスクで礼拝していた人たちを「早過ぎる」という理由で逮捕したこともあった。
独裁政権を批判し投獄され、そのまま帰らぬ人となった“囚人”もいる。
獄舎が満室になったためなのかどうか不明だが、一斉処刑が行われたことがある。リビア国民の間では有名な「1996年6月29日の虐殺」だ。政治囚1,200人がわずか3時間で射殺されたのである。1時間という説もある。
遺体はどこに埋められたのか明らかにされなかった。「遺体を返せ」。今年2月、反カダフィ感情の強いベンガジで法律家がとうとう声をあげた。これが蜂起の口火を切った。NATOの後押しもあり、「打倒カダフィ」は燎原の火のごとく広がる。
8月28日、反政府軍がトリポリを制圧下に置くと政治囚は一人残らず解放された。獄房の電燈は点いたまま、天井の扇風機はカタカタと音をたてて回転していた。政治囚たちが取るものも取りあえず脱出したことを物語っている。
ラマダンさん(31歳・ビジネスマン)は2人の友人が9年間にわたって獄舎につながれていた。「新しい国家は政治犯を逮捕してほしくない。プリズンの跡地は壊すべきだ」。
恐怖支配の象徴だったブスリム・プリズン。ラマダンさんのみならず、リビア国民にとっては記憶が蘇るのも嫌なのだろう。
反政府軍のアブダラ・バニス大佐によれば、処刑された政治囚6万人のうち遺体が見つかったのはまだ1万人。残る5万人の集団墓地が見つかった時、新たな悲しみと怒りが人々を襲う。