激戦地ジャフナの素早い復興

ヒンズー教寺院

ヒンズー教寺院

廃屋に残る弾痕、Hospitalと書かれていることから病院だったことがわかる

廃屋に残る弾痕、Hospitalと書かれていることから病院だったことがわかる

丸ごと消えたマナカド村

丸ごと消えたマナカド村

【スリランカ・ジャフナ発】 スリランカの最北端ジャフナは、ヒンズー教の寺院がいたる所にありタミール人地域であることが一目でわかる。インドに程近いことから戦略要衝の地でもある。タミール人が圧倒的多数(9割強)を占める地域なのだが、仏教徒のシンハラ人が握る政府軍が、武力で駐留を続ける。

 ジャフナは、スリランカ政府が指定する「ハイセキュリティ・ゾーン」の中でも最も警戒が厳しい地域だ。83年から始まった政府軍とタミール・タイガーとの内戦では、激しい攻防が繰り広げられた(02年に停戦合意)。

 弾痕が残ったまま廃屋となった建物が目につく。それでも地元の人は「最近は修復が進み、こうした廃屋はめっきり少なくなった」と説明する。

 ジャフナでは、内戦で被災した人々を救援するため国連機関やNGO団体が以前から活動を続けていた。その下地を活かし、津波災害では救援・復興に向けて素早く対応した。

 「津波がまた襲ってきそうで怖い」
 ジャフナの典型的な漁村だったマナカド。「ザザーッ、ドトーッ」、潮騒が耳に響く。津波などなかったかのように海はおだやかでどこまでも青い。

 マナカドの250世帯は波にのまれ、71人が死亡した。村が丸ごと廃墟になったのだ。内戦でもここまでの破壊力はない。生き残った村人は近くの避難所で生活を続けている。海岸から約200メートルの所に住んでいたシャンディさん(29歳)は、母親を失った。

 「ここに家が再建されたらまた住みたいですか?」と筆者が問うと、「津波がまた襲ってきそうで怖い。帰りたくない」と答えるのだった。

 シャンディさんは、避難所の台所の壁と屋根に使うヤシの葉を切り出すため海岸を訪れていたが、海の方を向こうともしなかった。

 翌日から救援活動始めたタミールタイガー系NGO
 海岸から4キロ近く内陸に行った学校跡に避難所はある。タミールタイガー系のNGO組織「TRO」が運営し、ジャフナ県、国連機関、海外NGOなどが協力する。79世帯、290人が校舎とビニールテントで暮らす。(TROは Tamil Rehabilitation Organizationの略)

 ほとんどがマナカドから逃げのびた人達だ。1ヶ月余りが過ぎたからだろうか。避難所の人々は安堵の表情さえのぞかせていた。津波前の自宅での食事より充実している、と話す避難者もいる。

 反政府勢力であるタミール・タイガーの支配地域は、国際社会からの救援物資の配給が滞った、との報道が一部にあった。

 地元のボランティア活動家ステラさん(34歳)の話しを聞くと、そうではなかったようだ。TROと地方政府は津波発生翌日から、食料配給などの救援活動を行うほど素早い動きだった、という。「TROは面倒見が良い」とステラさんは評価する。

 「率直に言って地方政府とTROのどちらが頼りになりますか?」筆者はちょっと意地悪な質問を投げかけた。

 「両方とも信頼できる」。ステラさんは舌を出しながら笑って答えるのだった。TROが地元に溶け込んでいることが、よくうかがえる。

 避難所近くでは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が仮設住宅150戸の建設を急ピッチで進めていた。

 UNHCRによる仮設住宅建設作業は急ピッチ

UNHCRによる仮設住宅建設作業は急ピッチ

UNHCRによる仮設住宅

UNHCRによる仮設住宅

避難所、左前側がステラさん(場所:すべてジャフナ/撮影:筆者)

避難所、左前側がステラさん(場所:すべてジャフナ/撮影:筆者)
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