スリランカ アジアで一番長かった内戦終結

 スリランカで少数民族タミル人の独立を求める武装勢力・LTTE(タミル・イーラム解放の虎)と政府軍との間で26年間にわたって続いてきた内戦に悲劇的な終止符が打たれた。LTTEは17日夜(日本時間)、親LTTEのウェブサイト「TamilNet」を通じて事実上の降伏宣言を発表した。アジアで一番長かった内戦が終わったのである。

 LTTEは1990年代後半には空港を陥れるなどして北部のほぼすべて、東部の3分の1を支配していた。LTTEが精強を誇った頃である。だが、火力・兵力にまさる政府軍の前に最終的には北東部海岸のわずか1キロメートル四方に追い詰められていた。

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砲撃され廃墟となった病院(写真:スリランカ北部で筆者撮影)

 政府軍は昨年末からLTTE支配地域への攻撃を強め、LTTEは非戦闘員のタミル人を人間の楯に取った。だがLTTEを一気にせん滅したいタカ派のラージャ・パクサ大統領の意向を受けた政府軍は、非戦闘員の犠牲を省みずに猛攻を続けた。海岸線などには死体がゴロゴロと横たわる。国連は「スリランカは血の海になる」と警鐘を鳴らした。

  
 戦闘の節目ごとに数万人規模のタミル人が人間の楯から逃れた。LTTEは支配地域を追われる際、数十万のタミル人を連行したのだろう。LTTEが追い詰められた最終局面でも、国連スポークスマンのゴードン・ウェス氏によれば、非戦闘員3万~8万人が人間の楯として、閉じ込められていた。

 狭いエリアに政府軍が砲撃を加えているのではないか、と国際社会は懸念した。爆発音と共に煙が上がるからだ。政府軍スポークスマンは「タミル・タイガーが弾薬に火を点けているため」と主張するが、ジャーナリストや援助団体が戦闘地域に入ることを制限しているため確認できない。死傷者の数もつかめない。

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LTTEは全盛時、北部全てと東部3分の1を支配下に置いていた(地図作成:塩田涼)

  政府軍の包囲網が5キロメートル四方だった9日夜から10日にかけても野戦病院に砲弾が浴びせられた。野戦病院は小学校としても使われていたので児童を含む378人が死亡した。この時も政府軍は「LTTEによる砲撃だ」としていたが、政府の医療当局者が「砲撃は政府軍支配地域から」と証言した。

 筆者は2度ほどタミル・タイガーの支配地域に入ったことがある。戦闘が行われていなくても医薬品は不足していた。病院も満足になかった。ここに砲弾が雨あられのごとく降り注いだのである。治療と呼べるようなものさえ受けられず、人々は命を落としていった。

 「人道上の危機」以外の何ものでもない事態が起きていたのだが、国連安保理の反応は鈍かった。ODA最大供与国で絶大な影響力を持つ日本もスリランカ政府を自制させることはできなかった。

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