ガザ 貧困と絶望が支配する街

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一家は地べたで暮らしていた。父親は「赤ん坊のミルクを買う金もないよ」(18日、アル・アトゥラ村で。写真:筆者撮影)

 ガザの子供たちは一様に小さい。「8~9歳位かな?」と思って年齢を聞くと「12歳」などという答えが返ってくる。イスラエルによる経済封鎖が長く続くため幼児の頃から満足に食事ができないからである。WHO(世界保健機構)によると5歳以下の子供の3分の1が貧血だ。

 子供たちの多くは戦争で父親や長兄を失っている。健在であったとしても職がない。パンを買う現金に事欠く境遇なのである。

 激戦地だったガザ北部のアル・アトゥラ村のある家族のテントを覗いた。一家10人が地べたで暮らす。生活排水が地面に染み込んでいて腐臭が鼻をつく。その日のランチは卵一個きりだった。おかずが卵一個というのではない。ランチで口に入れるのが卵一個なのである。

 父親のサーレ・アブレラさん(52歳)は「行く所はどこにもない。あなたの国は援助してくれないのか」とすがるような表情で語った。傍らには8ヶ月の赤ん坊がいる。「ミルクを買う金もないよ」。アブレラさんは空き缶を揺さぶりながら筆者の前に突き出した。

 現地ガイドを務めてくれたパレスチナ人に「爆撃直後より貧しくなっていないか?」と聞くと「その通りだ」と答えた。英語が堪能な彼は「ゲッティング・プア・アンド・プア(どんどん貧しくなっている)」と続けた。

 世銀の調査(09年)によれば、ガザの全世帯のうち70%の家庭が1人1ドル以下で暮らす。

 07年にハマスがガザの政治権力を握るとイスラエルは経済封鎖を徹底的に強化した。ハマスを弱体化させるためである。医薬品やパンの原料の小麦など人道上必要な物資以外は搬入禁止となった.
 爆薬の材料に用いられるとして肥料さえも禁止品目に指定された。BBCの独自調査によるとガザへの搬入物資は05年末と比べると4分の1以下にまで減った。

 苛酷な封鎖に見かねた海外の援助団体が「ガザ支援船」を出したところ、イスラエル軍による拿捕事件が発生(5月30日)。トルコの援助活動家らが死傷し国際社会の批判が高まった。

 これを受けてネタニヤフ政権は一転、軍事関連物資以外の搬入を認めることにしたのである。

 だが軍事転用が効く物資の搬入はひき続き禁止される。セメント、鉄筋、角材は禁止リストに留め置かれる。これが復興を阻む大きな障壁だ。ネタニヤフ政権のミソでもある。

 セメント、鉄筋、角材なくして工場再建も公共工事もできない。人々の働く場がないままの状態が続くのである。世銀の08年の調査で失業率は40%にも上っているが、09年のイスラエル軍侵攻後はさらにハネ上がっているものと見られる。 
 学校も多くは破壊されたままだ。だが建築資材の搬入は、国連関連施設の再建に使用する以外は今後も禁止される。このため学校の再建も困難だ。子供たちが教育を満足に受けられない所に復興などありえない。

 ガザには復興の槌音が響かないどころか復興の兆しさえ見えない。事実上の封鎖は今後も続くだろう。「地獄だ」。筆者は行く先々でこの言葉を聞かされた。

 イスラエルによる「ハマス締め上げ」は、とりもなおさずガザ市民の生活困窮となる。人々のハマスへの反感は日増しに強まっているようだ。

 ハマスの強い地域以外では、どこに行ってもハマスへの批判を耳にした。「みんなハマスが嫌い」。15歳の女性は吐き捨てるような口調で言った。

 だが「ハマス弱体化」がイスラエルの思惑どおり進むとは限らない。エジプトとの地下トンネルを通じてイランから資金や武器の援助が届くからだ。ハマスに「体力」がある限り、イスラエルは事実上の封鎖を続ける。

 ガザの人々は絶望と貧困のなかで衰弱していくしかないのだろうか。

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【読者の皆様】
 田中は近く帰国致します。皆様の御支援のおかげでガザの現状を取材し世に問うことができました。ただ予想以上に経費がかかったため、相当な赤字を出してしまいました。カードローンの返済地獄が待っております。ひき続きご支援を頂ければ幸いです。

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