その声は弾んでいた。「タナカさん、スーチーさんがカイホウされたよ」―
13日、午後8時、BDA(ビルマ民主化運動)の在日ビルマ人女性から筆者の携帯に第一報が飛び込んできた。女性はビルマの同志から電話で報らされたそうだ。スーチーさんの解放時刻は午後5時20分(日本時間午後7時50分)。
刑務所から解放されたかと思えば次は自宅軟禁。軍事政権はスーチーさんを目まぐるしく拘束し続けた。この21年間で合計15年にものぼる。
今回の軟禁は昨年5月、外国人を無断で自宅に滞在させた国家防御罪によるものだ。外国人とは見ず知らずのアメリカ人で、スーチー邸裏の湖を泳いで渡ってきた。奇奇怪怪な事件だった。自宅軟禁の期間切れが迫っていたことから軍事政権がデッチあげたとの見方が支配的だ。
1年6ヶ月の軟禁は13日が期限となっている。「同日午後5時(現地時間)に軍事政権が軟禁を解く可能性がある」との情報が駆け巡っていた。
この日の午後、在日ビルマ人たちは東京・北品川のミャンマー大使館前で「スーチーさんを解放せよ」とシュプレヒコールをあげた。
BDAのタンスイ議長らは、シュプレヒコールの合間を縫ってヤンゴンの同志に電話を入れた。ひっきりなしだ。「まだ解放されていない」。スーチーさんを再び自宅軟禁に追い込んだ昨年5月の事件があるだけに“またもや”の懸念が頭をよぎる。タンスイ氏は苛立ちを募らせた。
苛立ちは爆発した。同志がスーチーさんの写真パネルを道路端に持ち出したところ警察が制止したのである。同志の男性は写真を引っ込めようとしなかった。10人近い制服警察官が取り囲んだ。タンスイ氏は「スーチーさんの写真を下げたりしたら大変なことになるぞ」と声を震わせて警察に抗議した。顔面は蒼白だ。これほど怒ったタンスイ氏を見たことがない。
大使館前に集まった約100人の在日ビルマ人たちが呼応した。「フリー、フリー、フリー、バーマ(ビルマ)」の大合唱となった。警察は引き下がらざるを得なかった。
彼らの願いが通じたのか。それから4時間後、スーチーさんは自宅軟禁を解かれた。在日ビルマ市民労働組合のミンスイ書記長は次のように話す。「僕らのリーダーが解放されて嬉しく思っている。だが前回のようにまた軍事政権がスーチーさんを陥れてくる危険性もある。そう考えると手放しで喜べない」。
7日に投票が行われた軍事独裁を正当化する新憲法にお墨付きを与えるのが狙いだった。軍事政権が描いたシナリオ通りの結果となることは疑う余地もない。次はどのような口実でスーチーさんを拘束するのだろうか。
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