長井さん射殺から2年 悪化するミャンマー情勢

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長井さんが治安部隊に射殺されるパフォーマンス。こと切れてもカメラを手放さない(渋谷の国連大学前で。写真=筆者撮影)

 2年前、ヤンゴンで民衆デモを取材中、治安部隊に射殺されたフリージャーナリストの長井健司さんを追悼する集会が27日、渋谷の国連大学前で催された。

 「日本人カメラマン、ヤンゴンで軍の発砲を受け死亡」。07年9月27日の夕方、テレビ画面に点滅したニュース速報の字幕スーパーを今でも昨日のことのように思い出す。

 紛争地域の取材を専門に手がける友人のE氏がミャンマー行きを計画していたため、撃たれたのはE氏ではないかと反射的に思った。E氏はサダム・フセイン政権下のイラクで秘密警察に拘束された“実績”を持つ。ミャンマーでも一度国外退去を喰らった経験もあるので余計に心配になった。JanJan編集部からも携帯に電話がかかった。「ミャンマーで撃たれたのはEさんじゃないだろうな?」
 E氏に電話したところ「まだ日本にいる」というので安心した。同じような問い合わせが相次いでいる、ということだった。

 あれから2年が経った。ミャンマー情勢は悪くなる一方だ。昨年5月はサイクロンが襲い8万4537人が死亡、5万3836人が行方不明となった(ミャンマー政府発表)。穀倉地帯が直撃されたことから、政府発表をはるかに上回る人数の餓死者が出た。

 軍事政権は国際社会からの援助を国民に回さなかったばかりか、横流しで私腹を肥やした軍幹部もいた。国際世論など屁とも思わないのである。

 今年5月には民主化運動のシンボル、スーチーさんが謎の米国人を自宅に滞在させたとして国家防御罪に問われ、数ヶ月にわたって拘束された。事件は軍事政権が仕組んだとの見方が強い。

 東京・渋谷の国連大学前で催された「長井さん追悼集会」には在日ビルマ人、約300人が参加した。しつらえられた祭壇の傍では、長井さんが治安部隊に射殺されるパフォーマンスが演じられた。こと切れてもカメラを手放さなかった長井さんの最期は、今なお心に迫る。

 日本に逃れてきて17年になる在日ビルマ人男性は訴えるように話す。「新しい民主党政権には期待している。前(自民党)と違ってミャンマー軍事政権に圧力をかけてほしい。軍事政権が持ったままの長井さんのカメラを取り返すべきだ」。

 ODA最大供与国として軍事政権を支えてきた日本の政権が交代したのは、小さからぬ転機となるだろう。国連中心主義と人道外交を掲げるオバマ政権が米国に誕生したのも、ミャンマー民主化には追い風となる。国際社会は来年に予定されている総選挙に監視団を送り込めるよう軍事政権に対して圧力をかけるべきだ。

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