【リビア・ベンガジ発】 カダフィに虐殺された親族、友人の遺影を探して

先月16日、戦士した友人の遺影を探す男性。「死ぬ2日前まで一緒だった。とても悲しい」。(27日、サーヘッド・アル・タハリール広場。写真:筆者撮影)

先月16日、戦士した友人の遺影を探す男性。「死ぬ2日前まで一緒だった。とても悲しい」。(27日、サーヘッド・アル・タハリール広場。写真:筆者撮影)

 裁判所や放送局などが並び、町の中心部に位置する「サーヘッド・アル・タハリール広場」。42年間に及ぶ「カダフィ独裁打倒」を叫ぶ民衆はこの広場で蜂起した。「リビア市民革命」発祥の地と呼んでよい。

 反政府軍がカダフィ政権の陣地を奪うに連れ、広場には独裁者に虐殺された人々の遺影が集まるようになった。カダフィ政権が事実上崩壊した今、数千枚もの写真が所狭しと並ぶ。正論を唱えて命を落とした親族や友人に“再会”するために足を運ぶ市民が後を絶たない。

 カリルさん(60歳)の友人は1996年、トリポリ市内の刑務所で処刑された。同年6月29日、カダフィは政治囚1,200人を一斉虐殺する。銃殺によるものだったが、わずか3時間で終わったという。友人(享年40歳)もこの中にいた。「毎日来ているが、まだ見つからない」。カリルさんは顔を曇らせた。

 広場に飾られている写真を目にしながらも死を認めたくない男性もいる。サード・アブダラさん(55歳)の息子は3月、激戦地ラスラヌーフで戦死したと伝えられている。「(息子の)写真はあるが、今頃トリポリにいるかもしれない。死んだとは信じていない」。サードさんは息子の“遺影”を見つめながら静かに語った。

 ラマダン月、イスラム教徒は陽が落ちるのを待つようにして食事をとる。毎夜広場には大勢の人々が晩餐に集い、新しい国家の礎となった殉教者たちを葬送するのである。

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