【諏訪都レポート】 スペイン15M 元祖・怒れる若者のオキュパイ

ドキュメンタリー監督のステファンさん。手に持っているのは15Mのメンバーが発行している月刊紙だ。有名なライターなども寄稿している。=写真:諏訪撮影=

ドキュメンタリー監督のステファンさん。手に持っているのは15Mのメンバーが発行している月刊紙だ。有名なライターなども寄稿している。=写真:諏訪撮影=

 その運動は2011年5月15日から始まった。15とMayo(スペイン語で5月)で「15M(キンセエメ)」と呼ばれている。舞台となった首都マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場は連日、老若男女、人で埋め尽くされた。約2ヶ月に渡って人々は広場に集まり、昼夜議論に議論を重ねた。

 15Mの占拠行動は、マドリッドにとどまらず、スペインの各都市、またヨーロッパ、アメリカ、アジアなどに広がった。いわゆるオキュパイ運動の始まりだ。2011年9月にアメリカ・ニューヨークで起こった「オキュパイ・ウォール街(OWS)」運動も、実はスペインから波及したものだ。

 15Mが起こった背景はこうだ。スペインでは30歳以下の失業率が50%と言われており、2人に1人は失業中だ。そんな中、「未来のない若者(Juventud sin futuro)」といわれる人たちや、銀行による家の差し押さえ、教育費、医療費削減など問題を抱える人々が、それぞれ小さいグループで抗議デモや、集会などを行っていた。

 15Mが起こる4ヶ月前の2011年1月のことだった。 Facebook上に「今こそ真の民主主義を¡Democracia Real, Ya!」というわずか5人が運営するアカウントが登場した。今まで運動をしていた人々、何かをしなくてはと思っていた人々がこれに注目、爆発的に拡散されて15Mが生まれた。

 1年と9ヶ月経ち、15Mはどうなったのか。15Mで最初に広場で占拠を呼び掛けたダニエル・ヴェスケスさん(37歳)とステファン・グルエソさん(39歳)にマドリッドで話を聞いた。

 ダニエルさんは当時を振り返る。「15Mは起こるべくして起きた。最初の日に集まった40人の内、活動家は10人程、後はみんな普通の人だった。そんな風に40人もの仲間が集まるのも初めてだったし、これからすごい人数が集まるだろうと予想できた。すぐに、新しいツイッターのアカウントを作って情報の発信を始めた。次の日の朝に、寝袋とボイスレコーダーを持った若い男性が“ツイッターを見てとにかく来た”と広場に現れたよ」。

 ダニエルさんは最初に広場に集まったメンバーの1人でハッカーだ。ハッカーというと、日本ではあまり良いイメージは持たれないが、15Mの行動で非常に重要な役割を果たしたのが、インターネットのプロたちだった。徹底的にネットを駆使し、有効に運動を広めていった。いつでもビデオを持ち、撮影可能な状態にしていた。警察が排除に来た時もその映像を即座にインターネットに上げ、翌日には参加者が倍になった。

15M始まりの場所「プエルタ・デル・ソル」。広い広場が人で埋め尽くされ、テントにはインターネットスペースや食堂、図書スペースなどが設置されていた。=写真:諏訪撮影=

15M始まりの場所「プエルタ・デル・ソル」。広い広場が人で埋め尽くされ、テントにはインターネットスペースや食堂、図書スペースなどが設置されていた。=写真:諏訪撮影=

 ドキュメンタリー制作をしているステファンさんは、運動開始直後からビデオを回していた。先日、自身のドキュメンタリーの試写会を行ったばかりだ。

 「僕は楽観主義と言われるが、15Mで僕らは勝利したんだと確信している。周りでは、もっと政治的な行動、例えば政党を立ち上げるべきだったなどの批判もある。しかし、広場の占拠が終わった後も、15Mから生まれた精神が様々なところで息づいて活動や運動を通してずっと続いている」。

 「15Mの一番の成功は、人が繋がったことだよ。15Mの前、僕には一体何人の友達がこの街に居たか。せいぜい20人ほどだ。だけど今は、200人以上は居るだろう。みんな、どこに行けば、人とつながれるか分かったんだ。都市で生きる意味が変わった。例えば、僕がビデオの編集で、ナレーションの録音が1人ではうまく行かないと友達に言ったら、彼は、“15Mの後、一人で仕事をするなんてあり得ない”と笑ったんだ」。

 では、一体どこで繋がるのか。15MのきっかけとなったFacebookやツイッターはもちろんのこと、毎週どこかで一般公開の会議や様々な催し物が行われている。

 「政府が一番怖がることは、みんなが繋がること。街の中、また広く言えば世界に家族が増えれば、困った時に助け合う事ができる。僕たちはそれをグローバルファミリア(Familia Global)と呼んでいる。自分一人じゃないと分かれば政府による締め付けの恐怖を感じなくなるんだ。だから、ぼくは“15Mで僕たちは勝った!”といつも言っているんだよ」。とステファンさんは自信たっぷりに明言した。 ~つづく~

 ※
諏訪記者はスペインの親戚を訪問した折に取材しました。

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