10月上旬から先月初旬までスリランカを取材した。昨年末、同国を襲った津波災害からどこまで復興したのかをこの目で見たかったからだ。内戦の行方も気がかりだった。前回、訪れたのは津波直後だった。1年が経とうとしている被災現場に再び足を運んだ。伝染病の発生を防ぐために村ごと焼かれた炭の匂いは、すでにない。
同国では多数派のシンハラ人(人口の74%)政府軍と少数派タミル民族(人口の14%)の独立を目指す武装組織「タミル・タイガー」との間で、83年から内戦が続いている。シンハラ人は主に仏教徒。タミル人はヒンズー教徒が中心だ。厳しい宗教対立がある。20年間の内戦で非戦闘員を含む6万人が死亡、100万人が国内外難民となった。02年からノルウェーの仲介で停戦状態となっている。
スリランカの津波の被害は東部に集中した。北部にも津波は押し寄せた。東部は震源地のスマトラに面しているから必然的にそうなる。北部、東部はスリランカの少数民族タミル人が暮らす地域だ。
内戦の最激戦地だったジャフナ半島は、津波の被害も大きかった。ここは人口の9割以上をタミル人が占める。1割未満のシンハラ人は、政府軍の基地に駐屯する兵士だ。同半島は占領地なのである。
ジャフナ半島最北端の漁師町ポイント・ペドロの浜辺では漁師の家族たちが、腰まで海につかりながら小岩を片付けていた(写真)。一族郎党が総出だ。津波で運ばれてきた小岩で魚網が破られるという。後遺症は海の中まで残っている。「水揚げは津波前の水準まで戻っていない」漁師たちは異口同音に言う。
政府軍に追いやられ津波に
ポイント・ペドロの被災者の多くは、津波と内戦の二重被災者だ。内戦前は海岸から1キロ近く内陸の空港周辺に住んでいた。ところが政府軍は空港とその周辺を基地化し、住民たちを追い出した。なかでも漁師たちは、海岸のすぐそばに設けられたキャンプに強制移住させられた。そこを津波が襲ったのである。
ある被災キャンプを訪ねた。狭い一角にヤシとトタン葺きの仮設住宅がひしめく。10世帯60人余りが暮らすのだが、トイレは共同トイレがひとつあるだけだ。生活排水は垂れ流しで、悪臭が鼻をつく。
キャンプの住民は地主から立ち退きを迫られている、という。漁師のアルラーンさん(仮名・49歳)は「津波と内戦がなければ、こんなことにはならなかった」と憤る。アルラーンさんは、4人の息子を「タミル・タイガー」の軍事訓練キャンプに送り出している。「タミル・タイガーは少年兵を徴兵している、とメディアは伝えていますが」と筆者は問うた。アルラーンさんは「そんなことはない、自主的だ。息子たちが(政府軍に)リベンジして土地を取り返すのだ」と、力を込めて語るのだった。津波禍は政府軍への敵意を増幅させているようだ。
不幸は重なる。政府軍基地の外周に敷設してあった地雷が、津波であちこちに流されたのだ。同国最大のNGO「サルボダヤ」が、注意を促して歩いている。キャンプにも同NGOのエイドワーカーが訪れ、写真紙芝居を使いながら流出地雷の危険性を説いていた。エイドワーカーの一人、ラジェニカさん(22歳・女性)自らも、地雷で右足を失っている。ヒンズー教と仏教の国でありながら、この国には「神も仏もいない」のだろうか。
チェックポイントと劣悪な通信事情
同国北東部に行くには「タミル・タイガー」の支配地域を通過しなければならない(空路であれば必要ない)。通過する際は、二重のチェックポイントがある。タイミル・タイガーと政府軍のそれだ。軍事物資、軍事転用物資がないかを厳しく調べる。トラックの場合、荷物を全部降ろさせるので、「一日がかり」となる。
苦労してタミル・タイガー支配地域に入ると、通信事情は極端に悪くなる。携帯電話は全く通じない。基地局がないためだ。これも政府による封じ込めの一環である。固定電話も限られた所にしかない。政府軍が占領するタミル人地域のジャフナ半島も通信、道路事情は劣悪だ。スリランカ人口約2000万人のうち14%をしめるタミル人が暮らしているにもかかわらずだ。
「通信事情の悪さとチェックポイントの存在が、(津波からの)復興を遅らせている」と援助関係者は説明する。確かにその通りだった。内戦→タミル人封じ込め→進まない復興→政府軍への敵意→終らぬ内戦……。あえて突き放した言い方をすれば、津波は悪循環のエネルギーを大きくしただけだった。