20年近く前から筆者は、ほぼ毎年のように「終戦の日」の靖国神社を取材している。蝉しぐれのなか大勢の参拝者が訪れる光景は、きょうも変わらない。
言うまでもないことだが、戦争体験者は年を追うごとに減ってゆく。2000年頃を境に、戦地に赴いたかつての軍人の姿は、めっきり見かけなくなった。「特攻で散った戦友の御霊を弔わなくては生きた心地がしない…」海軍兵士の言葉は殺気さえ感じさせた。こうした話は今ではまず聞くことができない。
4時間近く粘って会えたのは、陸軍中野学校出身の元情報部員だ。八児雄三郎さん(87歳・中野区在住)。2年前にもお会いしている。(拙ジャーナル「靖国参拝の元陸軍情報部員 “平和は戦友たちのおかげ”」で記事化)
毎年8月15日に欠かさず靖国神社を訪れる八児さんは、参拝者に「なぜ、この日に来たのか?」を尋ねることにしている、という。「物見遊山が多くなってね」。八児さんは嘆く。「平和の尊さを知らなくなったのかね」とも。
きょうは神通門前に並ぶ高校生に戦争の悲惨さを説いた。写真を見せながら「学童疎開」「東京大空襲」を話して聞かせた。最後に「お友達にも伝えてね」と告げるのを忘れなかった。
85歳になる母親の車椅子を押す男性がいた。男性は終戦の年(昭和20年)、東京世田谷に生まれた。この年の東京大空襲(3月10日)で命からがら逃げたことを母親から幾度も聞かされてきた。
「平和の尊さを忘れてしまっていいのか。AKB48で皆ハッピーで良いのだろうか。政治がだらしなさ過ぎる。昔の人が頑張って守ってくれた日本をどうしたいのか?」。男性は吐き出すように話した。
幼な子(2歳)を抱きかかえた父親(32歳)も平和の尊さを強調した。「血縁はないが、国民を守ってくれた人(戦没者)は家族も同然。その人たちの霊を弔いに来た。北方領土、尖閣諸島を侵略されていることに怒りを感じている」。
広島に平和の語り部がいるように、靖国にも語り部がいてもいいはずなのだがいない。A級戦犯合祀の問題があるためだろう。ここをクリアにしない限り、靖国で平和の尊さを語り継ごうにも、ギクシャクしてくる。
自民党政権下でしきりと議論されていた千鳥ヶ淵の国立慰霊施設は、民主党政権になって沙汰やみとなった。政治はますます混迷を深める。246万英霊(靖国神社HP)は浮かばれない。
◇
『田中龍作ジャーナル』は読者のご支援により維持されています。