東地中海に面するガザの海岸線は、そのままイスラエルとつながる。海岸沿いに高級ホテルが並ぶ光景はテルアビブのビーチと似ているが、あくまでも上辺だけだ。海もイスエラエルによって事実上、軍事占領されている。
夕方のガザ市海岸に残照を浴びながら魚網を編むパレスチナ人漁師の姿があった。漁師の名前はラジブさん(35歳)。漁師が魚網を編むのは世界中どこでも見られる光景だが、ラジブさんらが置かれている漁業環境は、パレスチナ紛争を重く背負っている。
この日、ラジブさんは沖合い2kmの海域で操業していて、イスラエル軍の艦艇から発砲された。驚いたラジブさんは魚網を海に置いたまま逃げた。編んでいたのは新しく購入した魚網だったのだ。
ラジブさんによればイスラエルは今回の戦闘終了後、漁業範囲を沖合いわずか3kmまでしか許可しなくなった(以前は約10kmだった)。ラジブさんは「漁をしていたのは(制限海域の)1km手前なのに」と憤る。
先月にはこんなこともあった。沖合い6km(10kmまで許可されていた時期)の所で、ラジブさんの漁船はイスラエル軍のリモート爆弾に破壊された。ラジブさんは海岸まで泳いでたどり着いた。1月のガザは東京とあまり変わらない位寒い。学生時代、水泳のチャンピオンだったラジブさんは、命からがら海岸に泳ぎ着いたのだった。
ラジブさんは「沖合いは大漁なのに」と悔しがる。10kmまで出ることができていた頃(戦闘前)は、1日2千~3千シェケル(4シェケル=1ドル)の漁獲収入があったのに、今は400シェケルに激減した。5分の1から7分の1弱だ。
戦闘期間中、武器を積んでガザに向かっていた船舶がイスラエル海軍に拿捕される事件も起きている。イスラエル軍はパレスチナ人漁師を装ったゲリラに武器が渡ることを警戒して、漁師が遠い沖合いに出ることを禁止したのである。
ロマンチックな言葉の響きを持つ「東地中海」は、紛争で緊張をみなぎらせる海だった。