ガザ市北隣りのトゥワム村は、東地中海の水平線を遠方に望む。村は大震災にでも遭ったかのように壊滅している。かろうじて残った民家の軒先に力なく座り込む老人がいた。イサム・アル・ムザーニさん(67歳・写真1)だ。
ムザーニさんによると、1月15日夕、村にイスラエル軍の猛爆撃が浴びせられた。空からはF16戦闘機とアパッチ攻撃ヘリが爆弾を投下し、地上からは世界最強とも言われるメルカバ戦車が砲撃した。海軍艦船からの艦砲射撃も加わった。降り注いだ砲弾は数え切れないほどだった。
ムザーニさんは、身振り手振りを交えて「あそこはF16に、そこは戦車に、向かいはアパッチに攻撃された」と説明した。ガザ市から救急車が駆けつけたが、アパッチ・ヘリに襲われ大破。医師、看護士、運転手の計3人が死亡した、という。
村には約50張りのテントが整然と並んでいた。前回報告したアルショハダ村とは打って変わって、ここではテント暮らしの村人たちがいる。アルショハダ村のように瓦礫の間に隙間が残らなかったからだ。イスラエル軍が巨大ブルドーザーで“整地”したのだ。
国際赤十字が約100家族分のテントを設けたが、うち70家族が寒さと雨でモスクや親戚の家に移った。
村を訪れる前夜、ガザは嵐のような天候だった。爆撃があったのかと思わせるような雷鳴が轟き、突風と共に雨が叩きつけるように降った。
サバ・アルバルディさん(57歳)は、8人の孫とテントで暮らす。昨夜は、冷たい雨が地面から流れ込んできたため厚めのビニールシートを敷いたが、無駄だった。8人は分散して近くの村の親戚の家に泊まった。
アリー・アブドゥルカム・アブジャルフームさん(76歳)は妻のラウヘイヤさん(45歳)と一緒だ。「テントは寒い。使いものにならない」と切り出すと一気に不満をまくしたてた。相当にストレスがたまっているのだろう。「食料は(支給される)パンだけ」と言うと、息切れしたのか話すのを止めた。
「テント村」では悪性の風邪が流行っている、という。冬は風邪、夏は疫痢が蔓延する。戦地には必ずあるテント村につきまとう「2次災害」だ。