サイクロンから1年、在日ビルマ人が追悼集会

 ミャンマーで死者・行方不明者14万人を出したサイクロン・ナルギスの襲来から2日で1年が経つ。在日ビルマ人たちがこの日、東京・渋谷の国連大学前で犠牲者を追悼すると共に軍事政権の圧政が続く祖国の民主化を訴えた。

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サイクロンの犠牲者を追悼する在日ビルマ人(国連大学前=東京・渋谷=写真:筆者)

 追悼集会には、軍事政権に反対する仏教徒連盟「サーサナモリ」ドイツ支部代表のウー・トーパカ師が出席した。師は2001年、ビルマから脱出、現在ドイツのケルン市で亡命生活を送っている。ミャンマーの民主化を訴えるウォーキングキャンペーンを世界中で展開していることでも知られる。

 06年には「ケルン→ベルリン」、07年には「バンコク→メサト」「ニューヨーク→ワシントンDC」を歩いて現地の人々に民主主義の尊さをアピールした。日本では今年10月に東京から広島の原爆記念ドームまで歩くことを企画している。

 ウー・トーパカ師は在日同胞を前に「軍事政権はデモ(2007年9月)の後も坊さんを軍靴で踏みつけたりしている。ビルマ軍事政権を正当化する憲法と総選挙に反対しているNLD(ビルマ民主同盟)をサポートしよう」と説いた。

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祖国の民主化を説くウー・トーパカ師

 国の穀倉地帯であるイラワディ・デルタをナルギスが直撃したが、復興ははかばかしくない。国際社会からの援助が軍に流れ、復興に結びついていないからだ。国連と近隣諸国が105億ドルを援助したにもかかわらず、ビルマ政府の発表は15億ドルだったりする。

 
 「援助が被災した国民に行き届いているのかチェックし公表するためにジャーナリストを入国させるべきだ」。国連当局者や援助関係者は口を揃える。

 ところが現状はこの逆だ。ジャーナリストであることを隠して入国しようとしても見破られ、空港で即国外退去処分となる。筆者の場合、ビルマ大使館からジャーナリストであることを見抜かれていたたフシがあったので、ビザは降りたが渡航は見送った。もちろん『田中龍作』は、パスポート上の名前ではない。

 
 ジャーナリストの入国を制限するミャンマーへのODA最大供与国は日本だ。日本政府に何を求めるか?ウー・トーパカ師に聞いた。

 「日本政府はビルマ政府との関係よりもビルマ国民のことを考えてほしい。日本企業と軍事政権が協力しているのが、ビルマ国民にとっては困る。自分の利益だけを貪欲に求めるのは海水を飲むようなもの。やがて動けなくなる」。師は仏教の寓話を交えながら訴えかけるように話した。

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