【ガザ発】爆撃直後と変わらぬ街で復興支える少年たち

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少年たちはコンクリート片を一日中拾い集める(ガザ最北部のベイトジャラで。写真:筆者撮影)

 イスラエルの軍事侵攻から1年半が経ったガザ――。筆者は侵攻直後に続いて再び訪れた。イスラエルによる経済封鎖で復興もままならないと伝えられているガザの実情をこの目で確かめるためだ。

 当時のガザは猛烈かつ精密な爆撃に晒されて瓦礫野原と化し、街のそちこちに硝煙の香りが漂っていた。工場や警察などの公共施設はことごとく破壊された。イスラエル軍がハマスの関連施設と見たためである。

 ジャーナリストや援助団体がガザに入るにはイスラエルのエレツ検問所(地図参照)を潜る。1km以上もある検問所の長い通路を抜けて目の前に広がるガザの景色に驚きそして愕然とした。爆撃直後と全く変わっていなかったからだ。

 エレツ検問所周辺はベイトジャラと呼ばれる地域で、爆撃前は工場や企業が軒を連ねていた。爆撃に遭い甲子園球場が数十個も入るような広大な“更地”となったが、今も更地のままだ。 
 軍事転用される恐れがあるとして、イスラエルはコンクリート、鉄パイプなどの搬入を禁止している(例外は国連などの施設の再建に用いられる場合のみ)。ガザの復興が進まないのも当然である。

 爆撃直後の更地とひとつだけ違う光景があった。子供たちが蟻のように群がってコンクリートの破片を集めていることだ。コンクリート破片は工場に持ち込まれて砂利状に粉砕される。砂利状となったコンクリートは建物の復興に用いられる。気が遠くなるほどの根気と労力を要する作業だ。

 軍事占領にも負けず抵抗を続けるガザの人々のバイタリティーを見た思いがした。

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ガザ概念図(作成:塩田涼)


【読者の皆様】
皆様のご支援のおかげでガザ取材に入ることができました。費用の続く限り当地に留まり、貧困と絶望が支配する現状をリポート致します。

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