【連載】地元の宝活かし雇用生む島~その3~

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体重9キロものブリを持っている男性は宮崎県で建築の仕事をしていた(海士町沖で。撮影:筆者)

【東京でブランド化に成功】
 獲れたままの魚介類は宝の原石に過ぎない。山内町長は付加価値をつける、すなわち原石を磨くことを考えた。そこで導入したのが「CAS」である。

 「CAS (Cell Alive System)」は魚介類の細胞を生きたままで瞬間冷却する特殊技術。海士町は5億円を投じてCAS工場を建設し、第3セクターの株式会社「ふるさと海士」に運営をまかせた。

 島で獲れる白イカ、岩ガキは高級食材なのだが、漁獲量は一定しない。限られた量で、しかも最寄りの市場である境港までの輸送コストがかかるため、漁師の収入はわずかだった。

 「CAS」で瞬間冷却すれば量を確保できる。味も鮮度も落ちないままだ。山内町長は「東京で勝負する」ことにした。安定した量を高値で買ってくれる料亭や百貨店に自らセールスをかけたのである。営業は成功。海士町の白イカ、岩ガキはブランド化された。70%は大都市の料亭や百貨店に出荷され、10%が中国に高級食材として輸出されている。「CAS」は島の稼ぎ頭ともなっている。

 漁協からその朝獲れた魚介類を買取り、次々と冷凍作業を進める。「CAS」は雇用も生んだ。従業員は現在約20名。漁師の妻たちは目にも止まらないほどの速さでイカの皮をはぎ、はらわたを出していく。魚のさばき方も鮮やかだ。

 ここにもIターンがいる。藤井徹さん(40才)だ。愛媛県西条市に本社があるテーマパーク設営会社に勤めていた藤井さんは2005年、転職雑誌で株式会社「ふるさと海士」を知り応募した。

 藤井さんはテーマパーク設営のために数ヶ月ごとに転勤する生活に嫌気がさしていた。大阪生まれで田舎に憧れていたこともあった。

 山内町長や奥田和司社長ら取締役の面接にどぎまぎしながら次のように答えたという。「獲れた物を商品にして売る、というところに引かれた。嘘がない。やりがいを感じる」。

 採用が決まったが、1才年上の妻は泣いて反対した。「やってみたいんだ」と藤井さんはひたすら妻に頭を下げた。妻の仕事が島で見つからなかったら、移住は断念しようということになったが、役場が妻を総務課の臨時職員として雇った。家族を抱えるIターン就職希望者のために海士町が便宜を図ったのである。

 藤井さん、妻、幼子2人の計4人は、海士町の定住促進住宅に入居した。家賃相場は一戸建てで月3万円。都会では信じられないような安さだ。冒頭紹介した定置網漁の佐伯さん一家も来島一年目は定住促進住宅に入った。

 奥さんの就職の世話と併せて、町はIターン就職希望者が安心して島に渡って来られるような配慮をしている。

 役場のみならず島の人々も「移住者」に親切だ。藤井さん一家が島に来て間もない頃、自宅前に魚と野菜がたんまりと置かれていたことがあった。「よそから来て大変だなあ」と声をかけてくれた。魚と野菜はいまだに置いてくれる。

 藤井さんの仕事は主に経理と営業。奥田社長と共に東京を中心に大阪、広島などにセールスに出かける。「CAS冷凍」の白イカや岩ガキに対する客の手ごたえを感じる、充実の行脚だ。「あの時、(島への移住を)決断して良かった。悔いはない」。こう語る藤井さんの表情は明るい。島に来た時2歳だった長女は、今年小学校に上がる。

 
                      (つづく)  

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