中東歴訪中のヒラリー・クリントン米国務長官は3日、エルサレムでイスラエルのペレス大統領、ネタニヤフ元首相、第1党カディマのリブニ外相らとパレスチナ問題などについて会談した。
ペレス大統領との会談後、国務長官は次のように同大統領に伝えたことを記者団に明らかにした。「イスラエルとパレスチナの2国家共存のためにオバマ政権はパレスチナ自治政府を支援してゆく」
ブッシュ政権からのチェンジを世界にアピールするには、対パレスチナ政策の転換は欠かせない。ブッシュ前大統領は就任早々「(テルアビブにある)米国大使館をエルサレムに移す」と発言し、ヒンシュクをかった。パレスチナ問題に対する無知の表れであったばかりでなく、イスラム教徒の逆鱗にも触れた。これが前政権の中東政策を象徴することになった。
殺し屋との異名を持つシャロン首相(当時)は、テロとの戦いを錦の御旗に掲げるブッシュ大統領と「あうんの呼吸」で思う存分に強硬姿勢を発揮した。西岸ジェニンでの集団虐殺(2002年)、ハマスの指導者ヤシン師暗殺(2004年)など、国際社会を慄然とさせる“対パレスチナ政策”を次々と繰り出した。
ブッシュ政権の8年間、パレスチナ和平は後戻りしハマスをさらに過激なテロ戦術へと走らせた。イスラエル国民とパレスチナの双方にとって史上最悪の8年間となったのである。
パレスチナ問題の解決を重要政策のひとつに掲げるオバマ政権に期待したいところだが、前途は険しい。
イスラエルの新政権に向けて右派政党の連立工作を進めているリクードのネタニヤフ党首は、パレスチナとの融和など頭の片隅にもない指導者だ。「(イスラエルとパレスチナの双方が首都と主張する)エルサレムの分割はない」とする右派特有の思想を堅持する。「全く譲らない」というのではパレスチナ側と交渉の余地はない。
ヒラリー国務長官の夫、ビル・クリントン大統領(当時)が、2000年7月の沖縄サミットに遅れて駆けつけたのをご記憶の読者もいるだろう。遅れたのは大統領山荘「キャンプデービッド」で持たれていたパレスチナ和平協議が大詰めを迎えていたからだった。
和平協議でイスラエルのバラク首相は「エルサレム分割をのむ」とまで妥協したのだ。“世界で最も解決が難しい紛争といわれるパレスチナ問題が解決に向かう。”クリントン大統領ならずとも思ったはずだ(結局はPLOアラファト議長の賛同が得られず和平協議は決裂)。
夫が果たせなかった「パレスチナ和平」を妻ヒラリー国務長官が引き継ぐ。100%の解決は先ずないが、少しでも前進させてほしい。暴力の応酬で命と生活を奪われたイスラエルとパレスチナ双方の市民のためにも。