ロシア-グルジア本格戦争突入 背景にちらつく米国の影

 ロシアとグルジアとの間で軍事緊張が続いていた南オセチアは7日から一気に戦争状態に入った。グルジア軍が南オセチアの中心都市ツヒンバリに侵攻したのに対し、翌8日にロシア軍が戦車を同地に入れた他、グルジア軍の駐留基地を空爆した。

 グルジア軍用車両(筆者撮影)

グルジア軍用車両(筆者撮影)

 現地からの情報を総合すると、少なくとも市民1,400人が死亡、南オセチアに住むグルジア人2,400人が難民となって、グルジア本土に脱出した。

 市民の多くはシェルターに避難しているもようだ。国際赤十字によれば、水・食料は不足し、病院は負傷者で溢れている。手術は廊下で行われているという。

 グルジアのシャーカシビリ大統領は9日、「戦争状態に入った」と国民に向けて宣言した。一方、北京オリンピック開会式に出席していたプーチン首相は、南オセチアと国境を接する北オセチア(ロシア領土)に直行、陣頭指揮を執っている。

 シャーカシビリ大統領が「(ロシアは)グルジアを破壊している」と言えば、プーチン首相は「(オセチア市民への)虐殺だ」と返した。

 トビリシの米国大使館前

トビリシの米国大使館前

分離独立勢力をロシアが援助
 グルジアと南オセチアは、ソ連崩壊の際に一度内戦となった(1991~92年)。そもそも南オセチアの人口の3分の2以上はロシア人だ。13世紀にモンゴルの侵攻によりロシアから追いやられて来た民族なのだ。対するグルジア人は3分の1未満。

 内戦を渡りに舟としてロシアは平和維持を口実に部隊を駐留させた。その傍らで分離独立勢力に武器・弾薬などの援助を続けてきた。

 シャーカシビリ大統領が04年、自治州とする提案をしたが、南オセチアは拒否した。ばかりか、06年には「完全独立」に向けた住民投票まで実施した。背景にはロシアの後押しがある。

 ソ連の一共和国にすぎなかった小国グルジアが大国ロシアを向こうに回せるのは、米国のバックアップの存在以外の何ものでもない。シェワルナゼ親露政権を打倒した「バラ革命」(03年)は、米CIAによる脚本・演出というのが定説となっている。シェワルナゼ大統領(当時)を追放し、政権の座に就いたシャーカシビリ現大統領は米国で教育を受けた人物だ。

 東西冷戦の再現か
 米国が、アゼルバイジャンと共にグルジアを何としてでも取り込みたい理由は、大きく2つ。ひとつは、中東に次ぐ豊かな埋蔵量を誇るカスピ海油田の石油と天然ガスを地中海に運び出すためだ。「BTCパイプライン(※)」と呼ばれてすでに稼動している。ロシアの領土を1ミリたりとも通過せずに済む。

 もうひとつは米国にとって最も度し難い国の双璧であるイランとロシアの間にクサビを打ち込むためだ。旧ソ連の共和国だったグルジアと東隣のアゼルバイジャンが、そのままロシア陣営だったら、イランとロシアは「陸続き」となる。米国が恐れるイランの核開発などは、進み放題となるだろう。敵陣営を分断するのは軍事の常道でもある。

 対するロシアはそれを阻もうと懸命になる。06年にはグルジアの元治安機関トップをはじめ国会議員、地方議員がロシアの資金援助で国家転覆を図ろうとしたクーデター未遂事件まで起きている。摘発は米CIAの支援を受けたもので、東西冷戦時代を髣髴させた。

 こうした情勢にあるため、在トビリシの米国大使館の警戒は厳重だ。写真撮影など不可能なことは分かっていたので、筆者はカップルを撮影するふりをして米大使館を撮った。わずか2、3カット撮れただけだ。撮影を終え車に戻ると、治安要員が待ち構えていた。最初からマークされていたのだった。

 グルジア内務省は10日、オセチアから部隊を撤退させたと発表した。ロシアは「グルジア軍はまだ駐留している」として否定している。

 冷戦終結から20年近くを経て今なお米露の権益が角逐するこの地域は、常に軍事力を伴った緊張を孕んでいる。

 (※)BTCパイプライン Baku(バクー:アゼルバイジャンの首都)→Tbilici(トビリシ:グルジアの首都)→Ceyhan(ジェイハン:トルコの地中海港湾都市)を結ぶパイプライン。

 

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