
カバンを手にしたスーツ姿の男性も。=21日、数寄屋橋付近。写真:筆者撮影=
「原発を止めるのに右も左もない」と筆者は言い続けてきた。経産省を訪れて同省前に根を張りつつある「脱原発テント」を撤去しないよう要請した民族派の新右翼が、今度は勤労者に配慮した。仕事が終わった後で参加できるようにと「アフター5の脱原発デモ」を催したのである。(主催:右から考える脱原発ネットワーク)
21日午後7時、夜の帳がすっかり降り切った頃、デモは銀座・水谷橋公園をスタートした。
神奈川県秦野市の男性(30代)は、午後5時に仕事を終えると電車を乗り継いで2時間かけて駆けつけた。東京北区の男性(30代・建設会社社員)は、仕事を5時30分までに片づけて銀座まで足を運んだ。
デモ隊が銀座、数寄屋橋などビジネス街を練り歩いているうちに、参加者はしだいに増えていった。追っ付け加わった常連メンバーや飛び入りが次々とデモに合流したのである。
デモの終着点でオヤジの聖地でもある新橋に着いた頃には、デモ隊の数は100人近くにまで膨らんでいた。スタート時の1・5倍である。