プリピャチはチェルノブイリ原発そばの村の名前である。原発から4キロという近さだ。原子炉から吐き出された冷却水を運ぶ川の名前でもある。
チェルノブイリ原発事故後、30キロ圏内は立ち入り禁止区域となり、プリピャチ住民5万人が避難した。避難後に戻ってくるなどして、事故から12年後の映画撮影時(1998年)には700人が立ち入り禁止区域で生活していた。同区域の悲劇を描く映画『プリピャチ』が3日、東京神田のアテネフランセで本邦初上映された。
映画は夫がチェルノブイリ原発の作業員だった老夫婦の語りで始まる。「私たちはゾーン(警戒区域)なんて言葉は使わない。検査した連中が名付けただけだ。放射能がある。30キロ圏内を指す。30キロ離れろと言ってもその先はどうなるんだ。鉄線で放射能は止まらない」。
村への出入りをチェックする検問所の警備兵が大きな溜息をつきながら話す。「かつてゾーンには美しい景色があり、イチゴやキノコが採れる山と川があった。そこに事故が起こり全ては汚染された。30キロ圏内の線量は許容値をはるかに超える」。
プリピャチは原発から撒き散らされた放射性物質によって、その面影も留めぬ、人が住んではならない場所になってしまったのだ。
オーストリア人のニコラウス・ゲイハルター監督らスタッフは、3か月に渡って線量の高いプリピャチで撮影を敢行した。ウクライナのグリーンピースに監督の知人がいて政府と交渉してくれたおかげで、警戒区域に入りカメラを回すことができた。
「こんな状況でも人が生きてゆける。未来が見通せない中で人が生きてゆける。ゾーンの中が危険だと知っていながら、生活を立て直している」―上映後のトークショーで語ったゲイハルター監督の言葉だ。村人に尊敬の念を抱き、のめり込んでいった様子がモノクロームのフィルムに焼き付けられている。監督の思いは村人に伝わり、彼らも本音を明かす。
村人の診察を続ける女医の言葉が印象的だ。戦慄さえ覚える。「人がここに住んではいけない。でもウクライナ(政府)の事情があって人々は移住できない。ゾーンの内に安全な場所はない。とにかく情報がない。私たち医師もわからない。危険だとは分かる」――情報を隠して避難を遅らせ、その後は帰還を急がせる日本政府の姿と重なるではないか。
ラストシーンは冒頭の老夫婦が再び登場する。二人はプリピャチ川に釣りに出かける。「昔は川の水を汲んで茶を沸かした。川は浅かったけど水は澄んでいた。この河畔で生まれたんだから、ここで死にたい」。淡々と話す老人の口調が観る者の胸をえぐる。
「ここで死にたい」と願い、線量の高いことを知っていながら福島に住み続ける老人は数えきれない。『プリピャチ』でチェルノブイリ原発事故から12年後に起こったことは、すでに福島で起きている悲劇である。
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『プリピャチ』は神田アテネフランセで6日~10日まで毎日2回上映。
問い合わせはアテネフランセ文化センター(TEL 03-3291-4339)
上映前緊急シンポ:
http://www.ustream.tv/recorded/18816038