原発避難者 久々の田植え「自然があれば生きていける」

「こうやって、指2本で植えるんだよ」。慣れた手つきの妻は生徒たちに教えた。=17日、大鷲里山ファームビレッジ(千葉県君津市)。写真:諏訪京撮影=

「こうやって、指2本で植えるんだよ」。慣れた手つきの妻は生徒たちに教えた。=17日、大鷲里山ファームビレッジ(千葉県君津市)。写真:諏訪京撮影=


 「自然があれば生きていける。フキやセリなどの山菜を取るのが楽しみだった。今、自然に接した生活が出来ないのが一番さみしい」。福島県富岡町から東京に避難して来ている女性(50代)は、つんだばかりの山菜を抱えながら言った。
 
 17日、千葉県君津市にある『大鷲里山ファームビレッジ』で“田植え体験、山菜・タケノコ採り”が開催された。青く澄みきった5月の空の下、福島からの避難者たちが久々に土の感触を楽しんだ。

 『ビレッジ』は、都心から東京湾アクアラインを通って約1時間という近さにも拘わらず、手つかずの大自然が残る。幹線道路から車で5分も入ると小川の水音が竹林に響く。草いきれが鼻孔を刺激した。

 今回の“田植え体験、山菜・タケノコ採り”は、NPO法人翔和学園の生徒の田植え実習に合わせて、避難者支援の一環として企画された。主催者の『人の輪ネット』代表の能登春男さん(50代)も福島県郡山市からの避難者だ。

 「去年4月に赤坂プリンスホテルに避難し、様々な人にお世話になりました。今度は関東に土地勘がある私が支援する側になりたいと思いました。東京で避難生活を始めた人には、家にこもりがちになってしまったり、都会に馴染めなくて落ち込んでしまっている人が多いのです。そこで、被災者・避難者・支援者をつなぐ『人の輪ネット』を去年9月に仲間と立ち上げました」。

 能登さんは、立ち上げ以来、奥多摩での植林調査会、餅つきなど野外活動を中心に様々な活動を行ってきた。

 「暗い顔だった方が土や自然とふれあい、とっても元気になって帰っていきますよ。今度は、潮干狩りを行います(※)。また、夏には福島県の子供たちを20人程保養で受け入れる予定です」。

 福島県南相馬市から避難して来ている家族は、原発事故のため去年は田植えも山菜採りもできなかった。この日は去年の分まで農作業や山歩きを満喫した。

 妻(80歳)は「ずいぶん深い田んぼだね」と膝まで泥につかりながら、ずんずん田んぼに入っていった。顔がほころんでいる。田植え実習の翔和学園の生徒たちに指導しつつ、慣れた手つきで苗を水田に植え始めた。

福島県富岡町のご近所同士で参加。収穫した山菜を嬉しそうに並べた。=写真:諏訪京撮影=

福島県富岡町のご近所同士で参加。収穫した山菜を嬉しそうに並べた。=写真:諏訪京撮影=


 夫(81歳)はタケノコや野草を背負って山から降りて来た。「タケノコは陽の当たっていない所で育ったのがいい」「(野草は)ほとんどのものが食べられる」などと説明してくれた。植物への深い知識には脱帽だ。フキ、葛、柿の葉、三つ葉、タラノメ、たんぽぽ、名前さえ知らない野草も盛り沢山だ。確かに「自然があれば生きて行ける」。

 「久しぶりの山はどうですか?」

 「いいね」。普段コンクリートの箱に閉じ込められている夫は満面の笑みで答えた。

 夫婦は長年原発に反対してきた。原発からわずか16キロの自宅は、津波の被害はなかったが、放射能の線量が高いため避難を強いられている。

 「原発さえなければ、住んでいられた」と妻は言う。活字では幾度も目にして来た言葉だ。それでも実際に当事者の口から聞くと、ズシンと心に響く。苦しいほどの重みだ。自然と共存してきた人々の生活は、自然と共存できない原発によって破壊されたのである。

 最後に妻は「最近、近所にある小学校の畑の一角で野菜作りを始めたんだ」と笑顔で語った。女のたくましさに救われた思いがした。

 《文・諏訪 京》
 ※
潮干狩りは6月3日(日)の予定。詳細は『人の輪ネット』までhttp://hitonowa.at.webry.info/

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