福島原発事故の責任を東電と共に負う原子力安全・保安院がきょう、12年の幕を閉じた。最後の院長となったのは、保安院設立の中核的役割を果たした深野弘行氏だ。皮肉である。
深野氏は職員を集め最後の訓示をした。「原発事故で多数の方々が避難され厳しい生活を送っておられることを、保安院の責任者として深くお詫び申しあげます…(中略)今回の事故を決して忘れてはならない」。深野氏は反省の辞を繰り返した。
国会事故調は「事故の根源的な原因」として保安院の責任を厳しく指摘している。「規制を導入する際に規制当局が事業者(電力会社)に意向を確認していた」「対策を要求していれば事故は防げた可能性がある」…。
保安院がまっとうに仕事をしていれば、福島の原発事故はなかったと言ってよい。原発事故の刑事責任を問うた福島の住民たちは、東電の勝俣恒久会長らと共に保安院の寺坂信昭院長(当時)を業務上過失致死傷の罪で告訴している。
今回の事故で官僚は誰一人、責任を問われていない。深野院長自身、特許庁長官に横滑りする。口先だけで「事故を忘れてはならない」と言っても、責任が問われないのであれば、ほとんどの役人は忘れてしまう。
原子力事業の規制を一元的に担う「原子力規制庁」が明日(19日)、発足する。職員の大半は保安院出身者である。
◇
『田中龍作ジャーナル』は読者のご支援により維持されています。