「放射能から子供を守れ」、父母らの不安と怒りは募る一方だ。児童の被曝許容量を20mSvとした通達の撤回を求めて福島県の父母らが23日、文科省と交渉した。関東一円から駆け付けた親たちは文科省を包囲し、交渉を後押しした。
福島からバス2台を連ねて上京した父母たちが通されたのは文科省の中庭だった。「会議室はどこも塞がっている」というのが文科省の口実だ。高木文科相は本会議、政務三役は不在を理由に交渉出席を拒否した。
前回、参院会館で行われた同省との交渉からちょうど3週間が経つ。前回の交渉で明らかになったのは、「20mSv」とした理由を文科省が説明できない、ということだった。
説明がつかないのも当然だ。ICRP(国際放射線防護委員会)の2007年勧告では公衆の被曝量は 、1mSv/年 以下とされている。20mSv/年というのは仕事で放射線を浴びる職業被曝の基準なのである。ただ日本政府がICRPの07年勧告をまだ受け入れていないため“違法扱い”されていないだけだ。後ろめたいことには変わりない。
梅雨のはしりの雨が降るなか、福島の父母たちはコンクリートの上に座らされながらも粘り強く文科官僚を問い詰めた。文科省は渡辺格・原子力安全監が対応した。
上述したように「20mSv」は後ろめたいのである。渡辺原子力安全監のあいまいな答弁に対して父母らから怒号が飛んだ。「毎日子供は被曝してるんだぞ」「高木(文科相)を出せ」。皆、子供を守るために懸命だ。
2時間半に及ぶ交渉の結果、渡辺原子力安全監は次の点を政務三役に諮り回答することになった――
「20mSv/年を被曝許容量としていることを撤回し、1mSv/年に近づける」と通達すること、「現在、福島県内の自治体が行っている校庭の除染などの費用は国が持つ」ことなど。
交渉が終わっても父母や支援者の大合唱が中庭に響いた。「子供を守れ、(20mSv)を撤回しろ」。
文科省を包囲する人々のなかに福島原発が爆発して間もなく郡山市から東京に避難してきた母と娘(4歳)がいた。「いつかは帰りたいが、今は住むところではない。家のローンが残っていて苦しいが、娘の健康を何より優先した」。母親は自らに言い聞かせるように語った。